どうも中川です。
いつもはドイツの生活等の情報をブログで発信しているのですが、今回は自分のことに関して書いていこうと思います。
なぜ自分に関して書こうと思ったのかですが、今、自分にとって【人生の分岐点】に立っているなと感じたからです。
人生とはいつ何が起きるか分かりません。
やりたいことを後回しにしていると虚しい後悔が後からやってきます。
やらない後悔よりもやった後悔が大事!
「最近中川はいったい何しているの??」
と不安にしている方も多いと思うので、それも含めて発信しようと思います。
結論から言うと
【サッカーまた始めます!】
陰でひっそりとサッカー始めようかとも思ったのですが、私の性格上それは自分に負けている気がしてできませんでした。
引退して約5年間サッカーに触れる機会はほとんどなく、運動もほとんどしてないやつがどこまでできるかはわかりません。
膝の痛みと恐怖心・お金の面を含めて引退せざる終えなかったサッカー人生でしたが、人生一度きりだと強く思い始め、
今やりたいこと、今しかできないことを全力にやろうと決めました。
もちろんもう一度膝が壊れたら、その時は本当に引退します。
膝に爆弾を抱えた状態ですが、公式戦出場・得点が直近の目標。
そして、ドイツに来て一度も叶えることができなかったリーグ優勝を味わいたい(ビールかけを楽しみたい笑)。
現役の頃は、サッカーさえすれば良いと思っていたので、言語の勉強はほとんどしてきませんでした。
ドイツ語がわからずとも、長くやってきたサッカー戦術は見ればわかりますし、サッカー自体どの国もポジションの役割は大体は同じなので日本でしたプレーをしていれば問題なくこなすことができます。
その考え方こそが、自分に甘かったなと今振り返るととてつもない大事なチャンスを逃したと感じてます。
今はドイツ語がそれなりにでき、会話できるのがあの当時とは全然違うなと感じました。
練習参加の時も、語学ができるだけで緊張をあまりしませんでした。
言語できないだけでかなりストレスだったなと今振り返れば思います。
昔よりも監督やチームメイトとすぐ仲良くなれるのがわかってより楽しいです。
これからのこと
ずっとコックの仕事をしてましたが、その傍らサッカー関係の仕事もしたくて、サッカー遠征プロジェクトを立ち上げました。
しかしながら、飲食の仕事が大変でほとんど手につけることができず結果という部分では全く何もできませんでした。
また、自身がサッカーすることも時間的にも体力的にもできないと蓋をしてきました。
自分のレストランも持ちたい、サッカーの仕事も成功させたい。
ですが、今2つ成功させることは今の私にとって本当に難しいと思いました。
なので、まずはサッカーで成功します。
もちろん、いきなり全振りはできないですが、コックの仕事はすでに減らしてサッカーに費やせる時間を多くしてます。
これからは、まず現役復帰を目指します。
現状すでにアマチュアのチームに参加して来季からの合意はもらってます。 まずは体をフィットさせないといけないので、今は練習生として参加して契約はそこから進めていきます。
サッカー事業の方も本格的に活動していきます。
ドイツでプレーしたい選手を募集したり、ドイツに遠征したいチームを斡旋します。 興味のある方は是非面談を受け付けます。
ライフキネティックの公認トレーナーになりました。
ドイツ在住の選手やサッカースクール・学校などで活動できたらと思います。
もちろん好きなことを仕事にすることは簡単なことではありません。
時にはその夢が難しくて不可能だなと思う時もあります。
ですが、挑戦してみないと分かりません。
自分を信じて努力を続けるしかないんです。
昔からずっとそう思ってここまで地道にやってきました。
手に入れたいものがあるなら、まず挑戦しないと何も始まりません。
挑戦した先に、何かがあるといつも思って行動してます。
今の人生に満足してますか?
満足できるよ!って方は少ないですよね。
本当にこれでいいのか?このままこの仕事を続けていいのか?色々なことに折り合いをつけて過ごしてきたのではないでしょうか。
誰でも夢を諦める瞬間がきます。
それは自分が納得して諦める時もあれば、突然諦めざる終えないときもあります。
後者は特に後から大きな後悔がやってきます。
その時は折り合いをつけて納得したはずなのに、ふと思い出すんです。
「あの時続けていれば・・・」「まだ諦めなければ・・・」
昔の自分が今の自分を想像できましたか?
想像した通りの人生を送れてますか?
おそらく多くの方は違ったなと感じているのではないでしょうか。
私は"現実"と"理想"は大きく違いました。
確かに良いことも悪いこともたくさん経験しました。
ですが、この今までの経験が無駄だと思いたくもないですし、思わせません。
最終的に思い描いてる未来や理想に近づければそれはただの通過点だったなと思う時が必ず来ると信じてます。
もう一度夢を追いたくなったら、夢は追うべきです。
乗り越えられない壁は神は与えないと思ってます。特に宗教的な考えはないですが、天は見ていると私は信じてます。
思いたったらすぐ行動しましょう。
長々と語ってしまったのですが、少し昔の話をしたいと思います。
少し昔の話に遡ります。
6年前、チームを探している無所属の時にただサッカー仲間とサッカーしている時に前十字靭帯断裂をしました。
1対1をしている場面でした。
その時に、悔しさよりも【あーここで終わりか】と思ったのを今でも覚えています。
良い医療を受けるにも、良いリハビリを受けるにもお金が必要です。
無所属の僕は、給料がない状況での大怪我でした。
お金が尽きると夢を追うことができません。
そこから、引退を強く意識始めました。
日本でも怪我は多かったのですが手術になるような大怪我はありませんでした。
ドイツに来て、度重なる大怪我をしました。何度も病院に運ばれましたし、何回も手術をしました。
キャリアは徐々に上がり、知名度も上がっていたので側から見ればさぞラッキーボーイだと思われていたのかもしれません。
ですが、このキャリアの裏には多くの葛藤がありました。
差別や思うようにいかない毎日、試合の度に痛み止めを飲んで出場し、体もメンタルもボロボロでした。
毎日怪我をしないためにできることは何か、今日の練習を怪我なくできるのか、毎日これで頭がいっぱいでした。
サッカーを始めた当初から怪我は常に友達のようについて来ました。
元々持っている体の強度に対する自分の運動能力が釣り合っていなかったからです。
私は体が弱く、喘息持ちでスポーツをできるような体ではありませんでした。
それでも体を動かすのが好きで小さい頃からスポーツをしてました。
自分で言うのはあれですが、運動神経はかなりよく、どの競技も大体すぐ並以上にできるようになりどのスポーツも手を出してはすぐやめました。
その中ですごくハマったのがサッカーでした。
楽しくて毎日ボールを蹴っての毎日でしたが、やはり自分の体にとっては大きな負担でした。
走りすぎると喘息は出るし、走れば足のどこかを痛めてました。
環境を変えることこそが成長できる
サッカーを始めたのは小学4年生、サッカーをする人の中では遅い部類に入ると思います。
最初は北海道内でも特に弱小と言われるリーグの1・2回戦勝利を目指すチームからスタートしました。
入ってすぐにスタメンに入れるレベルになり、チームでは目を惹く存在になりました。
小学5年生のとき、その地域リーグで毎回優勝して全道大会に行くチームに移籍しました。
ここで初めて挫折を経験します。
今まで通用したものが全く通用しないことに気がつきました。
いじめや差別も経験しました。ここで書くと長くなるので書きませんが本当に辛い日々でした。
チームで圧倒的存在にのし上がって、結果で誰も文句を言わせないことを目標にトレーニングを積んで着実に力をつけました。気づいたら北海道選抜に選ばれてました。
しかし、北海道選抜では各地域の選ばれた上手い選手が来るので、当たり前ですが、その中でも僕はサブ要員でした。
このままの自分では全然ダメだと思ってました。
コンサドーレのセレクションがあると聞き、当時はよくわかりませんでしたが、道トレの選手の多くが行くと聞いていたのでとりあえず受けたら無事突破しました。
やはりコンサドーレジュニアの選手や道トレの選手が多く、レベルの高さについていくのがやっとでした。
とりあえず、ここでトップになろうと思い、普通にやっていても超えることはできないので、みんながやっていること+αを考えて取り組むようにしてました。
徐々に結果もついてきて、気づけば日本代表になってました。
常に今の自分の力を客観的に分析し、足りないもの考え、毎日課題を持って地道に続けてきた結果です。
本当に自分でもびっくりするくらいとんとん拍子に上まで辿り着きました。
日本代表に行けば全国から上手い選手が集まるので当たり前ですが、みんなが上手いです。
アジアの国の代表と試合をした時はまたそのレベルの差を感じました。
ここで言いたいことは、おそらく安定を求めてずっと同じチームにいれば気持ちよくサッカーをして、俺が一番上手いと思いながらプレーをしていたでしょう。
同じ場所はとても居心地も良く、正直、楽です。
世界は広いという言葉の通り、日本国内でさえ地域のリーグを出れば自分より上手い選手はいるし、県を出ればまたいます。そして海外にも当たり前ですがゴロゴロいます。
レベルの高いチームに行くことはリスクを伴います。
ですが、レベルの高いチームに行ったことで、自分のレベルをまた再確認できるんです。
環境を変えることでまた新しい目標に気づくことができます。
世界は広い・まだまだ知らないだけで自分よりもすごい人は沢山いると言うことです。
満足している暇はないんです。
自分よりもレベルの高い環境・知らない環境に飛び込むと選手として潰れるかもしれません。
ですが、そこに適応し、抜け出せた時、人は大きく成長していることに気づけます。
人生はそう甘くはない
ここまで見れば、シンデレラストリーですが、ここからどんどん崩れていきます。
私のプレースタイルは指導者の好みがすごく分かれるタイプだったので、ハマる人はハマるし、ハマらない人は嫌いという選手でした。
中1・2年のコーチは気に入ってもらっていたので、必ず試合に出ましたし、信頼されてました。
中3になり監督が指揮するようになってからは、私が日本代表の時は基本的に試合に出れてましたが、やはり代表でなくなった途端にいきなりベンチになり、中3のクラブユースはほとんど出場しませんでした。
ですが、なぜかチームでただ一人優秀選手に選ばれ、メニコンカップに選ばれました。
この時、監督から【何で選ばれたのか分かんないわ】と言われました。
全然起用しなかった選手が選ばれたらそれは面白くはないですよね。
ですが、選ばれたからには応援して欲しかったなと言うのが正直な気持ちでした。
夏終わりにU15の代表合宿で痛めていた腰を完全に壊し、長期離脱となり、そこからは未来の見えないどん底の始まりでした。
怪我した状態でしたが、経歴もあったので、無事U18には進めたものの高1の時はもちろんベンチ外。
道内から集められた優秀な選手が揃う少数精鋭チーム+尚且つ私たちの代は恵まれたスター軍団だったので、高1で高3の試合に出たり帯同することが多かったので2軍の試合の雑務は自ずと数少ない僕たち(低学年)の仕事でした。
スタート時点から全てが出遅れチャンスも掴めず、尚且つ腰の痛みと恐怖で思ったプレーもできず高1は思い切ったプレーはできませんでした。
高2になっても状況は何一つ変わらず、練習に行くことすら億劫になってました。
なぜなら、高1の頃からから感じていた"違和感"により敏感になったからです。
高1の頃は怪我もあったり学年的にもまだ未熟と言い聞かせることができましたが、高2になればそうはいきません。
木曜日は紅白戦の日でした。
2軍が1軍と試合をしその結果次第でベンチ入りするかしないを試す場でした。
まず、サブのサブは1軍と2軍が試合をしている間は周りを走ります。(時間が決められていてかなりきついやつです)
その後は2軍の選手の何人かが1軍へ、外周しているサブの選手が2軍のチームに混ざります。
私はここですら入れない"いわゆるサブのサブのサブ"、また外周でした。
ここに入れないのは僕とキーパーだけの時も多々あります。
もはやチャンスすらも与えてくれないのかと。
終わったら最後に全員でラントレがあり、その日は本当に苦痛でした。
自分は陸上部なのではないかと思うくらい。
練習でも、スタメンの選手はサブの選手を平気で怪我覚悟で削ってきます。
さすがにやられっぱなしだとあれなので、やり返すと怒られるのはそう僕です。
この時【なんでなんだ】と、【なんでオレだけ言われるんだ!】と思いました。
なぜスタメンの人たちは平気でファールしても見逃し、おれの時は言われるのかと。
人は平等ではないということを改めて気付かされました。
影の努力は誰も見ていない
例えこんな状態でも負けたくない自分がいたので、早く来て、自主練して最後に帰るようにしてました。
高2になっても高1に任せるのではなく準備して片付けも積極的にやってました。高1の時に感じた自分の辛さを感じてほしくなかったからです。
ある時、テスト期間中でほぼ寝れていなかったので練習ギリギリまで親の車で寝てから行ってました。
そしたら、始まる前に監督に呼び出され、【なぜ準備もしないで車から出て来ないんだ】と指摘を受けました。
さすがにこの時は怒りが収まらず言い返しました。
その時に、一つも私のことを見ていないだなと感じました。
普段しているところを見ていれば、何かあるんだなと思うはずです。
よく影の努力は誰かが見ていると言います。
確かに誰かは見ています。
しかし、影の努力は無駄ではないですが、権力のある人に見てもらわないとその努力の効果はほぼ得られません。
重要なことは影の努力をうまく評価してくれる人に見せるかが大事なんだとそこで気づいたんです。
今ままでは、影でしていることが結果として、うまく成果になったのでその成果を判断基準としてここまでうまく来れました。
ですが、成果も出ないまま何の魅力もない選手が影で努力をしていても興味はないんです。
なので、なるべく見えるようにやっているということを見せるのも一つの有効な手なんです。
普段全然してない選手でも、たまにやってるところを監督が見れば、こいつちゃんとやっているなと+評価になります。
ライバルからリスペクトの気持ちへ
影の努力をなるべく評価される努力にベクトルを置いたことで、チャンスが回ってきました。
今までは【何でこんなにやっているのに出してくれないんだ】であったり、【あいつよりいいプレーしているのに何で!】と言う気持ちが強すぎてました。
確かに人に負けないという気持ちはとても大事ですが、誤った負けず嫌いは時に失敗を招きます。
前提として、レベルが圧倒的にうまくて他の選手との差が大きい場合は問題はないのですが、年齢が上がるにつれその差は大きくはありません。
つまりレベルが拮抗した中での採用の判断というのは、上の人の感情であったり・気に入れられているのかがとても大事です。
いかに媚を売り、懐に入れるかが大きな鍵を握ります。
あの時私は、負けたくない気持ちと使ってくれない不満がおそらく態度や雰囲気に出ていたのだと思います。
もし私が、指導者で選手を起用する時、同じようなレベルの選手であれば気に入っている選手を使うでしょう。
仲間が出ている試合も、「おれならできたのに!」と常々思ってました。
ですが、ある全国公式戦の初戦で15分出場の機会をもらえた時、何もできなかった自分がそこにはいました。
外から見ていた時は仲間に対して「何でこんなプレーもできないのか」と思ってました。
実際に自分が出ると、とてつもない緊張や短い時間なのに感じる恐ろしい疲労感で思ったプレーができませんでした。
このチャンスを経験してから考え方を変えたんです。
【ライバルを蹴落とす敵対心】 → 【スタメンはすげー!というリスペクトの気持ち】
そうです。ずっと結果も出していないのに思っていた「俺の方が上手いのに何で!という敵対心」を「こんな厳しいすごいところでやっていたのか」というリスペクトの気持ちを持ったことです。
もちろんチームメイトに憧れを持ってはいけません。憧れとリスペクトは全く違います。
憧れてしまうと諦めてそれ以上努力をしないからです。
俺も絶対こいつらと同じレベルになるんだというリスペクトの気持ちで謙虚にやり続けていたら、自ずとチャンスも回り始めましたし、チームメイトや指導者からの信頼が徐々に高くなっていきました。
そして、ラスト20分の自分の最大の武器である攻撃に変化を与えるポジションを確立することができました。
その際、監督が毎度途中出場の時に指示は「お前の好きにやってこい!」です。
明らかに高1・2年時の監督の言動の違いに気づけたのではないでしょうか?
これで皆さんにお伝えしたいことは、チームプレーである以上、思っているよりも仲間との信頼関係はとても重要であるということです。
普段の小さな積み重ねが、良い信頼関係を作り・それによって良いチャンスが巡ってくるという事です。
もちろんチャンスをモノにするのが大前提ですが、そもそもチャンスが来ないと話になりません。
試合に出れず、腐っている毎日を送っている選手は多いはずです。
ふと自分を客観的に見てください。
仲間を叱責したり、妬んだりしてませんか?
今出場できないのには理由があります。
同じことを続けていても、同じ結果しか得られません。
そんな時は少し見方や考え方を変えれば、必ずまた違う新しい何かが見えてくるはずです。
間違っても良いので、ちょっとずつ何かを変えていってください。
もし、私と同じような立場であるのなら、一度私がやってきたことを試してください。
何をしたいのかわからない方へ
膝を手術しプロ続行は不可、大学も中退したので高卒で学歴もなければ、語学の能力もない。
当時、「今の自分に何ができるのか」、「何がしたいのか」がわからない状態でした。
ドイツで生活するのは、ビザも含めお金が必要だったので、日系企業が求人を出しているドイツのサイトで仕事を探しました。
その当時、滞在ビザが出る条件は【大学に行くか】【就職するか】の2択でした。
私は日本の大学に入学したものの、入学直後にドイツに渡独し、その後はずっと休学し退学しました。
当たり前ですが単位が足りず、編入することができませんでした。
次のビザまで半年しか時間がない中、大学にしろ、就職にしろ語学レベルが必要なので、必死にギリギリまで勉強しました。
当時の私を知る人であれば、ドイツ語はかなり終わってました。
5年も居て、それしか話せないのかと言われました。
毎日8時間以上半年勉強してA1・2くらいからB2程度のレベルまで上げました。
ただ文を読めるだけで話すのはまるっきりダメでしたが。
大学と就職を視野に入れつつ、就活をしました。
運よく、日系企業の就職が決まりました。
全てが初めての分野で初めて見る・聞く業界用語、当たり前の社会人マナー、パソコンの使い方、全てにおいて知識や能力がありませんでした。
また言語面でもB1から募集をかけていたのに業務内容はドイツ語レベルB2以上とドイツ語の実務を必要とする内容で、最初はついていくことに精一杯でした。
何度も注意を受け、バカにされて悔しくてがむしゃらに頑張りました。
同じミスは繰り返さないようメモして、復習してを繰り返し、1年くらいしてだいぶ慣れてきて、業務の大体はこなせるようになりました。
その後はコックに転職して、日本食屋でもドイツ経営のお店でもしっかりと結果を出してやってこれてます。
ではなぜ、こうも速く適応できたのかを客観的に考えると、やはり小学時代からずっと環境の変化を楽しみそこに早く順応していった経験があったからこそ、ここまで来れたと思っています。
やりたいことはやっているうちに見えてくるものだと思います。
どの業界でもどの職業でもやりこんでみないとその楽しさはわからないと思います。
最初はつまらないと思っていた仕事も気づいたら好きになっていた。
それが生き甲斐になっていたという方も多いと思います。
その多くはそれは元々好きで始めた人ではなくて、なんとなくやったら楽しくなった方が多いのではと思います。
もし、何をしたら良いのかわからない方は、今の仕事や夢中になっていることに熱心に取り組んでください。
その先に、この仕事は合わないから転職しよう、もっと違うことに挑戦したいなと思えるはずです。
何事も中途半端になんとなくやっていたら、その先は何も見つかりません。
まとめ
いつか自分の飲食店を持つのは夢です。
そしてそれと同時にサッカー関係の仕事も成功させるのも夢です。
ただ、ずっと飲食の仕事が忙しく、サッカー関係の仕事は全くできませんでした。
結局、どっちつかずの中途半端な私が嫌でたまりません。
生憎私は凡人なので、2つ同時にこなせる能力が今はありません。
飲食店はもう少し歳を取ってからでも始めることはできますが、サッカーの現役復帰は今を逃すと年齢的にさらに厳しくなります。
燃焼しきれなかったあの思いを今、手に入れよう!
そう決めて飲食の道は一旦諦めました。
飲食の仕事は続けますが、仕事を減らして、好きなことに時間をもっとフォーカスするつもりです。
一度捨てたサッカーのキャリアをもう一度最初から積み上げていくのは本当に難しいことです。
まずはその一歩としてサッカーをすることから始めました。
自分がして楽しいことは自ずと喜んでくれる方がいると思います。
まずは自分が楽しいと思えることをやることが一度しかない人生を楽しむ方法だとこれから感じていけたらと思ってます。
ただ、手術するような怪我をしたら現役は引退するので、それが1試合かもしれないですし、または練習中でやるかもしれません。
ですが、今できることを最大限やって楽しみたいと思います。
CIAO
中川